埼玉県西・中央支部「佐野造船」合同見学会報告
【プロローグ】
気温35度を超える猛暑の7月6日、海のない埼玉県の中央と西の両支部メンバーで江東区潮見にある日本唯一の木造船建造会社という「佐野造船所」を訪問し、工学院大学専門学校造船科を1973年に卒業した同社9代目で会長の佐野龍太郎氏からお話を聴きました。(今回は先方から10名以内で、とのリクエストがあり多くの会員を誘うことが出来ませんでした。)
【歴史】
同社の歴史は古く、江戸時代に現在の東京都八重洲付近で産声をあげたとのことです。それから200年、代々船づくりの技術を伝承し。木材や食料品を輸送するための和船作りからスタートし、釣り船や花見用の船、現在では休日を楽しむためのプレジャーボートへと、時代のニーズに合わせた木造船を提案し、作り続けてきました。
【無形文化財への指定】
9代目で現在は会長職を担っている佐野 龍太郎氏は、東京都江東区から船大工として「無形文化財」に指定されているとのことです。
船大工は、海に面し堀割の多い江東区にとってゆかりの深い伝統技術です。江戸時代中期には生活に密接な関係にある技術として全国に普及していました。
こうした技術を継承し、後年に伝えるなどの貢献が高く評価され、今回の無形文化財への指定につながったとのことです。
【工学院との関わり】
元々、和船造りは父から子へと、父の仕事を見て覚え、技術の継承がされて来たとのことですが、これからの時代は図面を書き、強度計算なども行える技術者でなければならない。との考えから8代目(龍太郎氏の父)が、当時の工手学校(後に工学院に改称)に入学し、製図等を学び和船だけではなく洋船の製作も行うようになった。
但し、佐野造船の原点である木造の姿勢はそのままに、現在でもアルミやスチール、FRPなどは一切使わずに木材(マホガニー等)だけで作ることにこだわり続けている。
工学院の専門学校(造船科)へは、龍太郎氏の父、龍太郎氏と弟2人の4人が入学して技術を学んだとのこと。
【佐野造船の未来】
10代目のご子息(代表取締役社長)龍也氏は工学院大学専門学校に造船科が無くなっていたことから、日本工業大学に進み、卒業後カナダへ留学し英語を学び、
次の時代の経営者として海外からのお客様の対応も
出来るようになったとのことです。マスコミやユーチューブ等にもたびたび紹介され、これからもこだわりの船造りを続けるものと思われます。
【エピローグ】
佐野造船で製作する船のエンジンはホンダのV6 250馬力のエンジン2基で、今年3月にパシフィコ横浜で行われたボートショーではホンダが初めて開発したV8 350馬力のエンジン1号機を積んだプレジャーボートをホンダのブースで展示したとのことです。
まだまだ書き足りないことがいっぱいありますが、続きは9月7日(土)に埼玉県西支部がウエスタ川越で行う、「佐野造船」報告会兼「佐野龍太郎氏」とのトークショーに来て、聴いて下さい。
見学会参加メンバーと佐野龍太郎会長(中央)の記念写真